ユニセフ スタディ ツアー 
UNICEF Study Tour Report

8月19日から26日までの8日間、日本ユニセフ協会北九州支部の
東南アジアスタディツアーで、タイに行って来ます。
初めての海外旅行。タイで友達をいっぱい作ってこようと思います。
帰ってきたら、ここでレポートします。

ユニセフとは

1964年、国連の組織「国連児童緊急基金」として設立され、戦災国で活動が始まりました。
United Nation's International Children's Emergency Fund の頭文字を取ったものです。

1953年になって、活動の中心が発展途上国に移り、 United Nations Children's Fundと
名称が変わりましたが、 UNICEF の名称はそのまま使われました。

マーク
オリーブの葉に囲まれた地球の上で、お母さんが子供を抱き上げている姿をデザインしたものです。
世界中の子供が、心も体も健康に育って欲しい、という世界中の願いを表現しています。

2000年までの目標

  1. 5歳未満の子供の死亡率を1990年より3分の1減少させる
  2. 妊産婦の死亡率を1990年の半分に下げる
  3. 5歳未満の子供の栄養失調を1990年の半数に減らす
  4. すべての子供に安全な飲み水と衛生を提供する
  5. すべての子供が初等教育を受け、80%が初等教育を終了できるようにする
  6. 成人の識字率を1990年の半分に下げ、特に女性の非識字率の低下を図る
  7. 厳しい状況におかれている子供たち、特に武力紛争の中にいる子供を保護する

ユニセフ親善大使 「トットちゃんとトットちゃんたち」より

ユニセフ親善大使は、子供の福祉や人道問題に強い関心を持つ世界の著名人の中から
発展途上国の子供たちの代弁者として、ユニセフ事務局長が任命する。
年俸は、わずか1ドル。

第1号はアメリカの俳優ダニー・ケイ。その後、英国の俳優であり、映画監督のピーター・
ユスチノフ、北欧の女優リブ・ウルマン。そして、女優の黒柳徹子さんが4人目の親善大使
になりました。その次、アメリカの歌手ハリー・ベラフォンテ。英国の映画監督リチャード・ア
ッテンボロー。女優オードリー・ヘップバーン。なお、ダニー・ケイとヘップバーンの死去に伴
い、現在は5人です。

1987年、黒柳さんに、第1回ユニセフ子供生存賞が与えられました。

「トットちゃんとトットちゃんたち」、この本、読んでみて下さい。衝撃です。


スタディ ツアー

総勢26人、うち高校生が20人、中学生が6人(2年生は、わたしを含めて2人)。
引率の先生方はみなさん自費での参加です。優しい先生方で安心しましたが、
そのぶん、しっかりと勉強してこなければ、と思いました。

研修の2日目。タイ児童財団の子供村学園で、2泊3日を過ごします。

子供村学園は、家庭が貧しかったり、崩壊してしまった約110人の小学生が学ぶ、
タイで唯一の寄宿学校です。英国のサマーヒル学園の教育思想と仏教思想とを取り入れ、
子供たちの自主性が尊重されているそうです。
ここで、たくさんの友達ができれば、と今から楽しみです。

タイ・ナショナルチームの選手育成のために作られた「スパンブリ・スポーツスクール」や
スラムの天使と言われるプラティープ・ウンソンタム秦さんのドゥアン・プラティープ財団、
クワイ河鉄橋も尋ねる予定です。

公式行事はすべて学校の制服です。タイはとても暑い国なので大丈夫でしょうか。
料理も、辛いものが多く、ワサビも苦手な私としてはちょっと心配です。


タイでは、今までのタイに対する考えを直すとともに、私たち日本人の生活感、、宗教観との
違いをたくさん見つけて来ようと思います。
また、東南アジアで問題となっている「貧富の拡大」をしっかり見て、自分なりの考えを作り
たいと思います。


8月16日 出発式

 北九州市八幡東区の国際協力事業団九州国際センターで結団式が行われました。
式典の後、ティーパーティがありました。母と、幸太郎も一緒に参加しました。





■8月19日 出発です

(報告は幸太郎記者。見送りに福岡空港まで行きました)

福岡空港から出発です。この日は出発が30分遅れましたが、その30分の間も
姉(右側写真の右)ははしゃぎまくっていました。

まずは、VIPルームでの出発式。みんな緊張気味でした。見送りに来た家族のひとは
みんなカメラを持っていなかったので、デジカメを持っていた僕が記念撮影の主役でした。

いよいよ出国。
さすがの姉も、
緊張している
みたい。
行ってらっしゃい。
おみやげ
忘れないでね。


(ココからは幸乃が報告します)
期待と不安が入り交じった複雑な気持ち。
空港での出発式が終わると、気が引き締まった感じ、でしたが、その後すぐ、
友人と一緒にプリクラを しようとした私は一体何を考えているんだか・・・・・・。
(私を含め、十数人が叱られたのは言うまでもありません)

初めての海外、飛行機では、国際線のサービスの良さに、離陸の時点で、
もう、興奮状態。もっとも、しばらくすると何も見るものがなく、結構暇。
機内映画(ジム・キャリーの「ライアー ライアー ライアー」)に感動、
機内食にも感動。
スチュワーデスさんは、タイ人で、民族衣装を身につけていました。


■午後3時40分 バンコク到着

すごい渋滞。「タイの名物」とは聴いていましたが、ホントにすごい。
バイクが多いのは、小回りがきくから、だとか。でも、排気ガスがすごく、
これでは大気汚染が心配。
交通整理の警官もマスクで防衛。空港からホテルまで、1時間半の予定が、
2時間以上もかかってしまいました。

都市部では、工事現場があちこちに。来年、タイで開かれるアジア大会への
準備だそうです。ガイドさんの話だと「ちょっと間に合わないかも」ですって。
大丈夫かしら、と、ちょっと心配。

そんな工事現場で見たワンちゃん。熱いのか、お昼寝です。

■午後7時 現地の学生と交流会

タイのインターナショナルスクールの人たちと。でも、みんなタイ人ではなく
(当たり前かな?)アメリカ人だった。しかも、中国系と、インド系。

みんな、英語ぺらぺら(当然ですよね)。私の
英語はまだまだ。なかなか会話に加われなくて、
ちょっと残念。もっと、勉強しとけば良かった、と反省。

宿泊は「デルタグランドパシフィックホテル」。とっても
立派なホテルでした。サービスも、食事も文句なし。
タイに限らず、世界中でチップという習慣があります。
ココでもそうでした。ベッドメイクには20バーツくらい、
荷物を運んでくれたボーイさんに20バーツ。
夜は、お洗濯をしたりで遅くなりましたが、ぐっすり眠れました。

番外編:実は夕食をしている間に母から3度も国際電話が入っていた。
     「タイで子供たちにあげるおみやげを忘れたんじゃないの」という
     緊急電話。結果的には出発直前に必要ないことが分かったので
     おいていったのだけど、母に話していなかったのでこんなことに。
     「お母さんごめんなさい。」 (*_*);


2日目 ■午前9時 日本大使館へ

日本大使館を訪問しました。大使はとっても親切な方で、大使(外交官)に
なるまでや、大使になるための必要な勉強などを、わかりやすく教えて下
さいました。

「外交官になるには、まず自分で特技を見つけて、それをアピールすること」
とおっしゃいました。いま、私には特技といえるものはないけれど、早くそれを
見つけて、自分を売り出したい。

■午前11時30分 タイ児童財団「ひまわりの家」へ

「ひまわりの家」は、家庭が貧しかったり、崩壊してしまった子供たちを
サポートするタイ児童財団の施設です。
1歳から5歳くらいまで子供たちや赤ちゃんが生活しています。

私たちがお邪魔したときはちょうどお昼寝タイム。
でも。極端に足が細かったり、腕が細かったり、ショックでした。
日本の同年代の子供たちに比べるとあまりにも違いすぎます。
改めて、「日本は幸せすぎるくらいだな」と感じさせられました。

■午後0時30分 昼食タイム

昼食のため、中華料理レストランへ行くために水上バスに乗りました。
料金2バーツ(8円くらい)。チャオプラヤ川を渡ります。
流れが速く、とても濁っているので、落ちたらまず助かりません。
その川を、水上タクシーがたくさん走っていました。陸上も、川も
タイは、どこもかしこも渋滞です。でも、「元気な渋滞」です。
日本と違うな、と実感しました。

■午後6時 子供の村学園へ

今回のスタディツアーの中心行事の一つです。

カンチャナブリ子供の村学園に入村。予定より少し遅くなったので
辺りは真っ暗でした。


ここは、「ひまわりの家」のタイ児童財団が
運営している寄宿舎学校で、小学校から高校
くらいまでの子供たちが生活しています。

ここでは、カメラ、時計、財布などは一切持ち込み
できません。みんな預けましたので、左の写真は
最後の日、帰る直前に撮ったものだけです。

写真で一緒に写っているのは私のパートナーの
ボィ です。髪を短く切っているけど、9歳の女の子。

目がぱっちりしていて、とてもかわいい女の子。

ここでの夕食中、たくさんの子供たちが集まってきて「ナマエハ?」と
寄ってくるので驚きました。みんな、日本語が結構上手。
その夜、私たちは子供たちの家に行き、ぐっすりおやすみ。


■3日目 午前6時30分 起床

目覚まし時計の音で目が覚めました。なぜか、オーという16歳の子が
目覚まし時計を持っていました。

私たちが寝たのは木と竹の床が印象的な自然の家。床を踏み抜きそう
たったので、そろりそろりと歩いている所をボィに見られ、思いっきり笑わ
れてしまいました。

■午前7時30分 朝食

朝食。ココでは時計がない生活なので、鐘の音が合図。食事、水浴び、
すべて鐘がなります。食事は結構美味しかったけど、ちょっとハエが多くて・・・・・。
(ハエと吠える犬が苦手な私です)

朝食の後は、ずーーっと遊び。走ったり、折り紙をしたり、紙風船を作ったり。
ボィは私に鍵盤ハーモニカでタイの歌を教えてくれました。私は、お返しに
「セーラームーン」を歌いました。(分かってくれたでしょうか??)

子供の村学園の日本人ボランティア・山本さんの案内で学園内見学。
この学園を出てもちゃんと生活できるように、コンピューターの職業訓練室も
ありました。子供たちへの全面的なバックアップ。こんな場所がタイの国中に
広がればもっといいのに。


■午後4時30分 水浴び

1日1回、午後4時30分に川で水浴び。この川はクワイ河の上流で、結構きれい
だったけど、流れが速く、少しは水泳に自信がある私ですが、驚きました。
お風呂の代わりに川で水浴びなんて、とても貴重な経験でした。

■午後8時頃 パーティ

明日はもう、ココを出るというので、ダンスパーティを開いていただきました。
みんな上手なので、ちょっと気後れしてしまいましたが、最後はとても楽しく
いい汗をかきました。終わって帰る途中も子供たちから「セーラームーン」や
「ドラえもん」をせがまれ、歌ってしまいました。

夜も遅く、「さあ寝ようか」というときに、同じ家の子が泣き始めました。
何かを思いだしているみたいで、泣き方が激しく、叫ぶという感じ。
ココに付いたときはみんな明るく、日本の子供たちより目がきらきらしていると
思い、「やっぱり、子供はみんな同じだ」と思っていましたが、やはり違います。
みんな、過去の傷を背負って生きているなあ、と痛感しました。


■4日目 午前6時30分起床

今朝は、オーちゃんを手伝って、家の周りの掃除をしました。今日でお別れだ、
と思うとなんだか寂しくなりました。

今日の朝食はとても美味しく感じられます。ボィは私にフルーツを食べさせてく
れて、「コイビト」なんていってました(笑)。

とうとう、出発の時間。私はボィに「泣かないでね」と言われていたのですが、
やっぱりジーンときました。私はまだ中学2年生。まだチャンスはあります。
高校生になってまた参加したい、と心から思いました。そのとき、まだボィは
いるかしら。

バスに乗る前、ボィはずっと私のそばから離れません。バスに乗ってからも
いつまでも手を振ってくれました。ホントに、みんな素直で優しい子供たちでした。
みんな、生き生きしています。早く心の傷から立ち直って欲しい、と思いました。

子供村学園については、毎日新聞で紹介連載が始まりました。なんという偶然。
第1回は9月2日、第2回目は9月9日でした。

■午前11時30分 クワイ河鉄橋へ

クワイ河鉄橋は、映画「戦場に架ける橋」で有名です。もちろん、その時の木製の
橋は残っていません。
クワイ河の橋は、昔、旧日本軍が造った物です。しかし、
その橋は連合国軍に壊されてしまい、多くの日本兵が
犠牲になりました。せっかく造った橋を一瞬で壊されて
しまい、日本兵たちはどう思ったか、日本から遠く離れ
た土地で死ぬなんて思わなかったでしょうに・・・・・・。
戦争の悲惨さを見せつけられました。


お土産物屋でTシャツとジュースを買いました。この、ジュースがとても甘くて、ちょっと
「変な味」。後で聞くと、砂糖より人工甘味料の方が多いとのこと(添加物だらけ??)
ココナッツジュースも飲んだけど、これも甘すぎました。


■午後5時 スパンブリスポーツスクール

スパンブリスポーツスクールは、タイのナショナルチーム育成のために作られた、タイで
初めての学校。年に2度、入学試験があり、タイ全土から優秀な人たちが集まってきます。
バレーボール、サッカー等々。私はここでセパタクローに挑戦しましたが、とっても難しい。
スポーツスクールの人たちに教えてもらいながらやってみましたが、全然ダメ。彼らの
弾丸スパイクを見ていると、恐ろしくなるくらいです。みんな相当努力しているんだなと思うと、
「わたしもがんばらなくっちゃ」と思いました。

夜は歓迎パーティーを開いていただきました。タイの料理が次々(当たり前か)。なかには
かなり辛い物がありましたが、やはりタイ料理は美味しいです。ダンスもしました。子供の村
に負けず劣らず思い切り汗をかいて、はじけました。その夜はおかげでぐっすり。


5日目午前6時起床

昨夜のダンスの疲れ?か、朝がとってもつらい。でも、今日はスポーツスクールの人と
ソフトボール。大丈夫?

私は、ソフトボールはおろか、野球も全くやったことありません。「でも、スポーツスクール
の人もやったことないだろうし」と気楽な気持ちでいたら、これが、大変なことになりました。
はじめは、野球部の先輩がいる我ら日本チームが優勢でした。でも、タイの人たちの勘が
いいこと。すぐにコツを覚えて、あっと言う間に逆転されてしまいました。どうにか、最後で
逆転勝ちを納めることができました、彼らの運動神経の良さに圧倒されてしまいました。


■午後2時アユタヤ遺跡

アユタヤ遺跡は、14世紀末から18世紀頃まで栄えたアユタヤ朝の遺跡。アユタヤ朝は
タイの王朝で史上最大と言われ、このころに多くの日本人がタイに渡っています。その中で、
一番有名なのが、山田長政。日本人は、山田長政を「英雄」のように良いイメージで見てい
ますが、タイでは余りよいイメージで思われていないようでした。

ソフトボール疲れもあってか、今日のレポートはとっても簡単。あすは、一日中、観光。
少しは遊べるかな?


■6日目午前7時起床

今日は一日中、観光で過ごします。

まず、私たちは桟橋に行き、水上タクシーに乗りました。これがすごいんです。
何が、って、自動車の大きなディーゼルエンジンを、むき身のまま船に乗っけて
それにスクリューを付けただけ。スピードは出るのですが、排気ガスのひどいこと。
驚いたことに、タイでは陸上より、海上の方が公害がひどいのだそうです。
すごいスピードとごう音。それに負けじと大声でマイクでしゃべるガイドさん。
そこは、まるで戦場(幸いなことに実際は知りませんが)のよう。耳がかわいそう。

観光地には、売り子さんがたくさんいます。中には悪い人もいてフツーの値段の
2倍以上で売りつける人もいるとか。これからタイに行く人、ご用心。

街は見渡す限りお寺とビルばかり。時代を超えて共存している2種類の建物に、
しまし、見とれていました。

水上タクシーに乗っていると近寄ってきた物売りのオジサン。
あの、有名なドリアンも売っていました。

我が家の父と母は「冷たくして食べるとアイスクリームみたいで美味しい」と言いますが、
私は苦手でした。やっぱり、ク・サ・イ。

タイは仏教の国。マナーはとても厳格です。特に、寺院にはいるときは、
ジーンズやミニスカートは絶対ダメ。 一緒にいた外国人の女性は、警官
から「Get Out」と大きな声で怒られていました。水上マーケットで、オジ
サンがドリアンを売りに来ました。なれたら美味しい、というけど私はダメ
でした。

■午後2時ローズガーデンへ

ローズガーデンは、日本で言うテーマパークです。名前の通り、冬にはバラが咲き乱れ
るそうです。ここは、タイの民族舞踊や、エムタイ、剣舞などのショーを見せてくれます。
ただ、土産物の値段は高く、日本と変わらないくらい。値切ろうとしても相手のペースに
巻き込まれてしまいます。ツワモノ、と言う感じ。こういうところは日本と全く変わりません。



記念紙幣50バーツ。
左の部分を拡大。
なんと、セロファンのように
透き通っていました
ここでは、
ゾウに
乗りました。
大感激です。
高い、
でっかい、
すごい。

ムエタイ、はタイ式キックボクシング。実は、これで死ぬ人もいるらしい。
ショーを見ていて「なるほど、これじゃ仕方ないわ」と思えるくらいの迫力。
とにかく激しい。でも所々で、漫才風のボケとツッコミがあるのですが、
これは、かなり寒いヤラセがありました。
でも、絶対見る価値があると思います。絶対。
(写真を撮ったのですが、遠くて暗くて、掲載不可。ごめんなさい)


■7日目午前6時起床

今日で、このデルタグランドパシフィックホテルともお別れです。
もう、一週間も過ぎたなんて、日が経つのは早い(オバサンの口調で)。

Read Rite Company を見学。
この会社は、コンピュータのハードディスクに内容を覚え込ませるときに使う
道具の先っぽ(何とも文学的な表現でしょう)を作っています。先っぽといっても、
ICのようにとても重要な部品。秘密だらけの工場ですので、撮影一切禁止。

この工場の驚きは、働いているのがほとんどが女性ということ。だから、女性
トイレはきれいだし、産休は3ヶ月もあるそうです。赤ちゃんが産まれたらお祝い
する場所もあるそうです。日本にもこういう「女性に優しい」会社がもっとあったら
いいのに、と感心しました。


■午前11時:帝人ポリエスターバンパイン工場へ。

ここは、ポリエステルを作っている日系企業です。工場をぐるりと見て回りましたが、
ものすごい暑さ。じっと立っているだけで汗が吹き出ます。糸を作っている工場
ですが、ココで働く人たちはなんと大変なことか。思わず、「ご苦労様」と言ってあげ
たい気持ち。

■午後2時:プラティープ財団へ


プラティープさん(女性です)は、スラム地区のクロントーイに小、中学校を作り、
アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞されました。その賞金で、
プラティープ財団を設立されました。

上の写真を見て下さい。道の両端は、山のようになったゴミです。
今朝まで泊まっていたホテルとはあまりにも違います。
学校に行きたくてもいけない子供たち、麻薬、シンナーに侵される子供たちが
たくさんいるそうです。

きれいな街は観光客に人気ですが、タイの貧富の差の大きさを目の前にして、
とてもショックでした。

やりたいことがいっぱいあるのにできない、そんな子供たちを見た私は何でも
できるし、してもらえる。日本は幸せだと思いました。自分は、そんな子供たちに
何ができるか、今、自分にできることは何か、いろいろ考えさせられました。

この写真の向こうには、きれいな、大きな高層ビルがたくさん見えました。
この差はなんだろう。でも、これがタイの現実です。

■午後7時 西野順治郎さんのお宅でフェアウェルパーティ
西野さんは、外交官、会社社長を経て、今、法律事務所の相談役をやってい
らっしゃいます。本も出されています。その西野さんの自宅がすごい。
私たちは総勢40人もいるのに、みんながゆっくりできるほどの庭の広さ。

パーティーの料理に「すし」「そば」がありました。久しぶりの日本食に、早速
箸をのばしたのは言うまでもありません。一緒に行った高校生の先輩とネクタイ
を交換したり、とっても楽しい夜でした。が、たくさんの日本食に未練を残しながら、
西野さん宅を後に。


■8日目最終日

午前0時40分、空港を後に、一路日本へ。さよなら、タイ、さよならボィ。

機内食でサンドイッチが出た以外は何も食べていないのでおなかぺこぺこ。
でも、疲れていたので、ぐっすり眠れました。

午前7時45分、福岡空港到着。ただいま。

空港で最後のセレモニー。出迎えのみなさん、国際協力事業団九州国際センター
のみなさん、有り難うございました。

最後に

私はこのスタディツアーで楽しいこと、悲しいこと、つらいこといろいろ考えさせられました。
特にショックだったのは、私たちと同年代の子供たちが、自分たちのやりたいこともできず、
麻薬や労働で青春時代を奪われていること。この目で、スラムと豪華な街を見て、ここまで
貧富の差が広がっていいものか、と思いました。

いま、エメラルド寺院とか、観光客が多い寺院の修復に多額のお金が使われています。
でも、それより先に、この貧富の差を少しでも小さくすることの方が大切だと思います。
日本からの支援のお金は、できるだけ多く、福祉の方に使って欲しい。

タイを含め東南アジアは急速に経済発展しています。と同時に、今までとは比べ物になら
ないくらいに貧富の差が広がっているのも事実だと私は思います。たとえ、物質的に豊かに
なっても、心が貧しくなってはいけません。心が豊かになれる、そんな国になって欲しい。

一緒に行って、仲良くなれた友達。先輩。コーディネーターの方たち。国際協力事業団九州
国際センターのみなさん、そして、両親、幸太郎に感謝します。

この報告記を読んで下さった方にお願い。感想を聞かせて下さい。
そして、もう一つのタイを知って下さい。


10月4日、学校でタイスタディツアーの報告をしました。